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「人に迷惑をかけたくない」という生き方-前編

「人に迷惑をかけたくない」
「人に迷惑をかけてはいけない」
と思っている人は多いはず。
かけなくて済むならかけたくはないけど
実際、生きてれば避けられないことなのです。

それなのに、なぜにこんなにも
「人に迷惑をかけたくない」
「人に迷惑をかけてはいけない」
と思ってしまうのでしょうか…。

迷惑って何?

私たちは子どものころから「人に迷惑をかけてはいけません」と言われてきました。そもそも「迷惑」とは何なのでしょう?

辞書で調べてみると「ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること。また、そのさま。 」と書かれています。

  • 深夜に大音量で音楽を聞く
  • キャンプ後、後片付けをしない、ごみを置きっぱなしにする
  • 図書館の本を汚して返す

確かにこのような行動は「迷惑」だと思います。でも、私たちが思ってる「迷惑」はこのようなものではないような気がしませんか?

これって迷惑なの?

  • 仕事が終わらないから同僚に手伝ってもらいたい。
  • 熱が出て動けないから、友達に食べ物を買ってきてもらいたい。
  • 学校の友達とケンカしてとても辛い。親に言いたいけど…。

例えばこの3つ。これって「迷惑」なのでしょうか?
私には「迷惑」というより「頼れない」「心配かけたくない」に感じるのです。

ここで、もう少し深めて考えたいことがあります。

  • 仕事が終わらないから同僚に手伝ってもらいたい。
  • 熱が出て動けないから、友達に食べ物を買ってきてもらいたい。
  • 学校の友達とケンカしてとても辛い。親に言いたいけど…。

この3つ、誰にお願いするかにもよると思いませんか?
同僚や友達、両親であれば迷惑にはならないけど、「他人」であれば迷惑と感じると思います。
迷惑になるかどうかは関係性によるのです。もちろん、各人の性格にも。

奪われた頼ることや甘えること

こうして考えてみると、ほとんどの人が思っている迷惑は迷惑ではないのです。
迷惑をかけたくない=心配をかけたくないであり、だから頼ることや甘えることができなくなってしまっているのです。

私たちは子どものころから「人に迷惑をかけてはいけません」と言われてきました。
それはまるで呪いの言葉のように私たちの意識にこびりついて、頼ることや甘えることさえも「悪」であるかのように錯覚してしまったのです。

真面目な人ほど呪いにかかりやすい

しかも、性格的に真面目な人ほど、この呪いにかかりやすいのです。真面目な人は幼少時代から「(迷惑をかけない)良い子」として親や社会から評価されることが多く、迷惑をかけないことが「善」迷惑をかけることは「悪」のような価値観が形成されてしまいやすいのです。そのため、何か大変なことが起きた時も「迷惑をかけてはいけない」「心配をかけてはいけない」が先立ち、一人で背負い込んでしまうのです。

頼ることや甘えることには練習が必要

頼ることや甘えることには、ある意味練習が必要です。普段から頼ったり、甘えたりしていれば難なくできることでも、普段からしていないと本当に大変なことが起こった時に、どう頼っていいのかすらわからないのではないかと思います。

周囲の人は『言ってくれれば良かったのに』と思うものですが、当人も言いたくなかったのではなく、どう言っていいのか、どう頼ればいいのかがわからなかったのかもしれません。

人から頼られたり、甘えられたりすることを嫌だと思う人がいないとは言いませんが、多くの人が嬉しいと感じるはずです。
頼られ、甘えられ助けることで、自分の存在意義を感じことができ、その上、感謝もされるのですから。

頼ったり甘えたりしていい

もし、あなたの大切な人が困っていて、でも迷惑をかけたくないからとあなたに何も言わないとしたらどう感じますか?
どうして相談してくれないのかな?どうして頼ってくれないのかな?
相談したり、頼る価値のない人間だと言われているような気がしませんか?

頼ることや甘えることは誰にでもできることではないけど、でも、基本的にあなたが大切だと思う人ならば、その人も同じようにあなたを大切に思っているから、だから、頼ったり甘えたりしていいのです。

困り果てるほどに迷惑をかけ続ける家族や友人がいる人を除いては、周囲に対して「迷惑をかけていい、心配をかけていい、お互い様なんだよ」というメッセージを発信し続けることがお互いのために必要なのかもしれません。

「迷惑をかけたくない」が引き起こしたこと

私も例外なく「人に迷惑をかけてはいけません」と言われてきたと思います。
(そんなに頻繁に強く言われていた記憶はないのですが…)だから、やはり迷惑をかけたくないという気持ちは強くありました。

でも、この迷惑をかけたくないは他人に対してであって、家族や友達に対しては「心配かけたくない」「悲しませたくない」という気持ちが正しかったと思います。

「心配かけたくない」「悲しませたくない」とは思っていても、自分の意志があって、その意思通りに生きようとすれば、それが誰かの望むものではないことが往々にしてあります。
わざと心配かけようとか悲しませようとは思ってないけど、生きている限り、誰かに心配をかけたり、悲しませたりしてしまうことは避けることができないのだと思うのです。

でも私は誰かに「心配かけること」、誰かを「悲しませること」をとにかく避けたいがために、自分を抑え込み、我慢を重ねた結果、最後には多大な迷惑と心配と悲しみを与えてしまった過去があります。

何事も小さければ大した問題にはなりませんが、溜まれば溜まるほどにそのエネルギーは大きくなり、巻き込む人も被害もそして悲しみや怒りまでも大きくしてし取り返しのつかない結果になるのです。

人に迷惑をかけないなんて無理

そんな経験をして私は気づきました。生きている限り、人に迷惑をかけないなんて無理だということを。
インドのこんな教えを聞いたことはありませんか?

「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」

私も迷惑をかけたり心配をかけるから、だから、あなたもいいんだよ、お互い様なんだよ。
大事なのは、迷惑をかけないことではなく、寛容さなんだと思うのです。
そして許してくれた相手に対する感謝も。

「人に迷惑をかけたくない」という生き方の行き着く先…

以下は2006年2月1日、京都市伏見区の河川敷で、認知症を患う母親(当時86歳)を1人で介護していた男性(当時54歳)が、母親の首を絞めて殺害した。自分も包丁で首を切り、自殺を図ったが、通行人に発見され、未遂に終わった事件の3回目の公判で、裁判官が被告人質問で男性に「同じような事件が後を絶たないのはなぜか」と聞いた際の答えだ。
「人に迷惑をかけるな」という呪いと自助社会の絶望感 より)

「できるだけ人に迷惑をかけないように生きようとすれば、自分の持っている何かをそぎ落として生きていかなければならないのです。限界まで来てしまったら、自分の命をそぐしかないのです」。

毎日新聞大阪社会部取材班『介護殺人 ~追いつめられた家族の告白~』(新潮文庫)より

これは極端な例と思いますか?
実際に人に迷惑をかけないようにと自分の身を削ってしまう人は少なくないのです。こんな社会でいい訳がないですよね。

「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」

まずは家族や大切な人に対してこういう気持ちを持って関わっていくことで少しずつ変わっていくのではないかな…と信じています。

私たちは子どものころから「人に迷惑をかけてはいけません」と言われてきましたが、それでも迷惑をかける人はいます。かける人はずっとかけますよね…。
「人に迷惑をかけてはいけません」の呪いにかかりやすい人はどのような人なのか…「人に迷惑をかけたくない」という生き方-後編でわかります。

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